INTERVIEW/
EVENT REPORT

MASH HUNT
MASH HUNT

2021.03.15

ARTIST INTERVIEW

「MASH HUNT LIVE Vol.3」で
BEST ARTISTを獲得した声にならないよ。
繊細な心を紐解く、その歌が生まれた理由

昨年、9月11日にTSUTAYA O-Crestにて行われた第3回目となるライヴ審査「MASH HUNT LIVE Vol.3」にてBEST ARTISTを獲得した、声にならないよ。時に切なく、時に包み込むような優しさを感じさせる透明度の高いハイトーンヴォイス、その声に寄り添う繊細なピアノの音色、そんな一つひとつが歌に託した想いを鮮やかに描き、聴き手の心に確かな印象を残した。「あなたの声にならない思いを歌に」をコンセプトに、2020年4月に活動を開始。結成して間もないふたりだが、若宮が言葉を綴り、HiRoがメロディを紡ぐという楽曲からは既に確かなソングライティングが光る。繊細な心を紐解く歌が生まれた理由とは――ふたりに話を聞いた。

 

▶「MASH HUNT LIVE Vol.3」が行われたのは昨年の9月で少し前の話になりますが、そもそもMASHに応募した動機は何だったんですか?

若宮めめ(Vo)「僕とキーボードのHiRoくんは、声にならないよの前に4人組バンドをやっていたんですけど、そこが解散したんですよ。それでもまたバンドを始めたいと思って、去年の4月に始めたのが声にならないよなんです。でも、バンドが始まったら始まったで、コロナになってしまって、ライヴもほとんどできない中、どうやってスタートダッシュを切るかっていろいろ悩んでた時にこのオーディションを見つけて。MASH A&Rさんは僕の尊敬しているアーティストさんが多かったので、ここで腕試ししたいなと思って応募しました。でも、ライヴ審査の時、声にならないよではまだ1回しかライヴをしたことがなくて」

▶コロナ禍ということもありますけど、結成して5ヵ月ですもんね。

若宮「しかもMASH HUNTのライヴ審査って持ち時間が15分で。これまでのライヴは持ち時間30分とかが多かったので、この15分間でどういうことができるかっていうのはめちゃくちゃ考えましたね。それでスタジオで何回も演奏して作り込んで。当日は凄く気合いが入りました」

HiRo(Key)「僕はそうやって作り込んだからこそ普段のライヴでは見せないような感じにできたなと思ってて。今回のオーディションでパフォーマンスしたことで改めて楽曲が完成したんじゃないかなと思うこともあって、いい機会だったなと思います」

 

僕は最初、歌は誰でも歌えるもんじゃないって思ってて。
歌い始める前は、僕なんかが歌っていいのかって思ってた(若宮)

▶前身バンドの解散から声にならないよが生まれたということですが、結成までにどんな流れがあったんですか?

若宮「元々4人でバンドをやってたんですけど、そのうちのふたりが学業とか将来の夢の関係で音楽はやめようかなっていう話が出たんです。その時に、僕はこのバンドが解散したとしても、どんな形でもいいから音楽はやっていきたいと思ったんですよね。今って音楽をする方法がいろいろあるじゃないですか。その時に思ってたのは、作った曲をネットで公開するくらいでもいいかなっていう。でも解散が決まってから残りのライヴをこなしていった時に、最後なんやからってある種吹っ切れて、思いっきりパフォーマンスできたんですよ。そうやってライヴをしてたら凄く楽しくて、やっぱりバンドがしたい!って気持ちが出てきて。それで、そのライヴが終わった後、HiRoくんにそれを打ち明けたら、彼も『もちろんやりたい!』って言ってくれたので、じゃあ新しい形でまたバンドをスタートしたいなということで、声にならないよが生まれました」

HiRo「僕はそういう話をされる前から、この人とはずっと一緒にやっていくんだろうなっていう予感が何となくあって。でも、バンドを続けることが難しいっていうことも、やったからこそわかるし、バンドじゃなくなる選択肢もありだと思ってたんですよ。僕も最後に向けてライヴをやってたらやっぱりライヴが楽しいなと思ったんですけど、これからはこういうことも減っていくのかって思ってて。そしたらその日の打ち上げで『やっぱりライヴがやりたい。バンドしよう』っていう話をヴォーカルからされたんですよね。そこは一種の両想いみたいな感じで、声にならないよの結成に繋がったのかなと思います」

▶声にならないよではバンド名の通り、一貫した想いが歌われていますが、若宮さんが歌うようになったのは、何か歌いたいことがあったからなんでしょうか?

若宮「前身バンドでは最初インストバンドの時期もあったんですけど、それだと多くの人に聴いてもらえないんじゃないかと思って、最初は手段として歌を取り入れたんですね。歌い始めたのはそれがきっかけです。でも僕は最初、歌は誰でも歌えるもんじゃないって思ってて。存在が大きくなってる人ってずば抜けて歌が上手いと思うんですよ。だから歌い始める前は、僕なんかが歌っていいのかって思ってたんで、そこのステップに行くまでは勇気がいりました」

▶ご自身の声をコンプレックスに感じていたんですか?

若宮「感じてましたね。最初人前でライヴで歌うってなった時、お客さんの中にたまたま僕の高校時代の同級生でバンド好きな子がいたんですよ。僕らじゃなくて違うバンドを見に来てたんですけど、その子は僕が歌ってるところなんか見たことないし、バンドについても詳しい子だったんで、どう思われるんだろうって凄い緊張しちゃって。今その時の映像を見返すと笑っちゃうくらいよくないライヴだったなと思います(笑)。でも、前のバンドでいろいろ勉強させてもらって、積み重ねたことでコンプレックスは軽減できたかなと思います」

▶HiRoさんは最初に若宮さんの歌声を聴いた時はどう感じていました?

HiRo「バンドを組む前からカラオケとかに行ってたんで、元々声が高いことも歌が上手いことは知ってて、最初からいい声だなと思ってたんですよ。でも昔の、それこそ結成した当初の音源を聴くと確かに全然違うくて。月日を重ねるごとにいい意味で、どんどん雑味がとれて、限りなく透明に近づいた声になってるなっていう印象があります」

HiRo(Key)

この想いが何年後かに薄れていくんかなと思ったら、凄く嫌やなと思ったんですよね。
その時の喪失感とか別れの辛さを形にして残しておきたいなと強く思って(若宮)

 

▶今では若宮さんの歌声が、声にならないよのひとつの強みでもあると思うのですが、そもそもバンド名を声にならないよにしたのはどうしてだったんですか?

若宮「バンドを初めてからいっぱい尊敬するバンドができたんですけど、僕がその人達に何で憧れたんだろうって考えた時に、自分が言葉にできなかったことを表現してくれるからだということに気づいて。それで、自分も誰かのそういう存在でありたいと思って、『あなたの声にならない想いを歌えますように』というコンセプトでバンドを始めました」

▶ご自身が憧れたアーティストにはどういった方々がいたんですか?

若宮「バンドだと、影響を受けたのがplentyさんとか、SEKAI NO OWARIさんですね。歌詞も歌も影響を受けています。どの曲も憂いがあって、ハッピーな反面、悲しみも見えるのが僕の中で魅力的というか、目が離せないポイントだなと思ってました。僕もそういうふうになりたいって強く感じていて」

▶歌詞を書き始めた当初は、そういった憧れの人達のような歌詞が書きたいと思ったのか、歌い始めた時と同じように歌詞が必要だから書いてみようという感じだったのか、どういう感じだったんですか?

若宮「うーん……元々は手段として歌を歌うということがあって、じゃあ何を歌うのか、自分は何を歌いたいのかっていうことをずっと考えながらバンドをやってて――昔、猫を飼ってたんですよ。その子、実は難病を持ってたんですけど、その病気とは別で目が腫れたか何かで病院に連れていった時に、『この子の命は長くても1ヵ月です』って突然余命宣告を受けて。その子はそこから1週間後くらいに命を落としてしまったんです。その時、命って本当に亡くなるんだというか……頭では別れが来ることを理解してるけど、実際に自分の近くにいた存在がいなくなってしまうっていうのが初めての体験で。もちろん辛い想いっていうのもあったんですけど、この想いが何年後かに薄れていくんかなと思ったら、凄く嫌やなと思ったんですよね。だから、その時の喪失感とか別れの辛さを形にして残しておきたいなと強く思って、それからは書く歌詞が変わっていったと思います。今はそういうことを意識して書くことが多いですね」

▶“とめどない”の歌詞で<繰り返し繰り返す輪廻のように>という言葉が印象的で。声にならないよの楽曲には別れを描いた曲が多いと思うのですが、それがたとえば単に失恋した日常の記録ということだけではなく、その奥に死生観みたいなものが見えるなと感じていたので、今のお話と繋がった気がしました。

若宮「猫の話は“きみのうた”っていう曲で描いているんですけど――たとえば、自分が猫と別れましたとか、恋人と別れましたって描くと共感できる部分がかなり限定されてしまうなと思って。それはある種いいことなんで

すけど、『私もそう思ってた』ってならなかったら、声にならないよで表現したいことにはならないなと思ってて。なので、1曲の中で引っかかる言葉や言い回しになるようにしようっていう意識で作ってます。“とめどない”の描いていることって、恋人と別れたけど、その恋人を忘れるのは悲しい、でも忘れたくない自分もいるみたいな、素直に聴いたら恋人との別れの歌だけど、それ以上の感じ方をする人もいて欲しいなと思ったので、そういった死生観みたいな部分を入れました」

若宮めめ(Vo)

 

自分の作った音楽が誰かの日常を支えられることに作りがいあるなと思って。
僕らの音楽で救われるとか、支えになるっていう人がいっぱいになって欲しい(HiRo)

 

▶HiRoさんは歌詞に曲をつけるという作業があると思うんですけど、若宮さんの歌詞を聴いた時、どんなことを思うことが多いですか?

HiRo「それこそさっきおっしゃっていた<繰り返し繰り返す>っていうあの歌詞は、僕も最初に聴いた時、印象的だなと思ったんですよね。凄いワードだなと思って。なので、あの曲はそこからメロディをつけ始めました。そうやって歌詞の中で印象的なワードだったりとか、ここをピックアップしたいなと思うところがあったらそこから作り始めることもよくあって。いつも歌詞の意味をすべては説明されないんですけど、僕が感じ取ったままメロディをつけることで新しいものが生まれたりするのかなと思うのでそこはやりがいがありますね」

▶若宮さんはHiRoさんからメロディが送られてきた時にご自身の思い描いていたものに近いなという感覚はあるんですか?

若宮「いつも歌詞と一緒にモデルケースとして、こんな感じの曲にしたいって具体的なアーティストの曲を一緒に送ったりするので、こんな感じになったんや!って驚くことは少ないんですけど、曲の入りだったり、間奏の長さだったり、終わり方だったり、歌だけじゃない部分でも僕が書いたものに対してフィードバックしてくれてるなと思うんですよね。歌に関しても、昔はボーカロイドを使って歌メロを送ってくれたんですけど、最近は彼が歌ってくれるから凄くわかりやすくて。そうなったきっかけってボカロが壊れたからやっけ?」

HiRo「そうそう。パソコンを変えた時にボーカロイドのライセンス移行が上手くできなくて、問い合わせても全然できなかったんですよ(笑)。でも声にならないよって前身バンドの時よりも歌のキーが低めになったんで、この音程だったら自分でも出すことはできるなと思って、自分で仮歌を入れてみました」

若宮「いきなり何も言わずに自分で仮歌入れたのを送ってきてくれたんですけど、それが凄いわかりやすかったんで、そこから『次もそうやって声で入れて欲しい!』ってお願いしたんですよね。ボカロの時は『この人、息継ぎ考えて作ってんのか?』みたいな時もあって、凄く歌いづらい時もあったんですけど、実際歌ってもらうことでニュアンス含めて凄く伝わりやすくなって」

▶HiRoさんが若宮さんの言葉をどう汲み取ってメロディにしたのか、言葉で説明せずとも伝わってくるものは多そうですね。

若宮「そうですね。最近はメロディがすっと入ってくるし、いい曲やなと思うことが多くなったと思います。修正するとしても細かいニュアンスを変えるくらいやし、そこに対してはウチのキーボードがすごいなって思います。あと、だんだん歌唱力がアップしてるんですよ(笑)」

▶いつかライヴでHiRoさんががっつり歌う日も来るかもしれない?

HiRo「それはどうですかね(笑)」

▶(笑)。では最後に今後の目標や理想のアーティスト像があれば教えてください。

HiRo「声にならないよになってから、音楽を聴いてくれてる人達の反応が結構増えてきて、そういう声をいただいた時にめちゃくちゃ嬉しいんですよね。ありきたりな話なんですけど、自分の作った音楽が誰かの日常を支えられることに作りがいあるなと思って。だから僕らの音楽で救われるとか、支えになるっていう人がだんだんと――だんだんとと言わずにいっぱいになって欲しいなと思います」

若宮「さっき歌詞に死生観みたいなものが見えるとおっしゃっていただいたんですけど、僕の中で人生の終わり問題みたいなのは、自分の永遠の課題で。それを意識したところで幸せになれることでもないし、そんなこと考えても仕方ないとも思うんですよ。なので、それを無視して生きようっていう時期が一瞬あったんですけど、でもそういう自分は好きじゃないなと思って。たとえば、こんだけ幸せな時間もいつか終わるんだって凄くナイーブになる時もあるんですけど、常に終わりを感じながら生きていきたいって思うようになってから、今はそういう自分が好きだと思えるんですよ。だから、これからは同じように悩んでる人に『そう思ってるあなたも素敵だよ』って伝えられるような存在でありたいなと思います」

 

テキスト=桂 季永  撮影= manamius

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