INTERVIEW/
EVENT REPORT

MASH HUNT
MASH HUNT

2020.02.20

ARTIST INTERVIEW

「MASH HUNT LIVE Vol.1」で
BEST ARTISTを獲得したEzoshika Gourmet Club!
ナードとクールの絶妙なバランスはいかにして生まれたのか――

過去7度に渡って開催してきたMASH A&Rオーディション「MASH FIGHT!」が、2019年から形式を一新し「MASH HUNT」へとリニューアル。昨年、12月15日には渋谷WWWにて、その第1回目となるライヴ審査「MASH HUNT LIVE Vol.1」が行われた。BEST ARTISTを獲得したのはEzoshika Gourmet Club。90年代のオルタナティヴロックを中心に多様なジャンルを取り込んだサウンド、上京した若者が都会で感じるリアルな心情、いなたさの中にインテリジェンスを感じさせるバランスはオーディエンスの目を引きつけて離さなかった。結成して2年、MASH HUNTでのライヴを機にさらに結束を深めたという4人がどのようにして始まったのか。ライヴ当日の心境も交えながら話を聞いた。

 

このライヴを通してこのバンドをまた1回好きになったなと思います。
僕らのやってたことは間違ってなかったんだなっていうのが確信に変わりました(額田)

■少し日が経ちましたが、まず初めにMASH HUNT LIVE vol.1でBEST ARTISTを獲得した時の心境を教えていただけますか。守屋さんはその時サポートでの参加でしたよね。

▶ 守屋優樹(Dr)

守屋優樹(Dr)「そうですね。元々、英さん(池澤)からは『入っちゃいなよ』っていう話とかはいただいてたんですけど、僕は大学を卒業したらバンドをやるよりはサポートをしたり、スタジオミュージシャンでやっていきたい志望があったので、バンドをメインで組むっていうことを考えてなかったんです。
だから、とりあえず『卒業するくらいに考えますね』って流してたんですけど、やっぱりMASH HUNTでBEST ARTISTを獲ったとか、いろいろ結果が出始めてるのを体験して、このバンドがいろんな人達に認めてもらえるような流れを感じたので、凄くいいなと思って入りました。(MASH HUNTは)そのきっかけになったオーディションでもあるので、印象が強いですね」
松下和樹(B)「僕は素直に嬉しかったですね。これまで1〜2年くらい、エゾシカは曲がいいから広めたいってずっと思いながら活動してきたので、MASH HUNTでWWWの広いステージでライブをする機会をいただいて、ライヴ中、お客さんからいい顔してるんだろうなっていうのが伝わってきて、これからもよりいろんな人に知ってもらえたらなと思いました」
額田一佑(G)「僕も最初は単純にBEST ARTISTを獲れて嬉しかったってのがあるんですけど。振り返ると、日付的に2019年の集大成という意味でも、この日はBEST ARTISTを獲りに行こうみたいな感じだったんです。それで実際に当日は今までバンドで演奏してきた中でも、凄く一体感が出るようなライヴだったなと思って。演奏し終わった後に、やり切ったな、これは凄くいい日になったなと思ったんですよ。このライヴを通して僕はこのバンドをまた1回好きになったなと思います」

■それってこれまでに感じたことのない感覚だったんですか?
額田「なんて言うんでしょう……それに近いものは確かにいろいろあったんですよね。俺個人で演奏してるなじゃなくてバンド一体で演奏してるなっていう、そういう感覚はこれまで瞬間瞬間ではあったんですけど、この日は4人で『俺ら演奏してるぜ!』っていう気迫みたいなのが出せたなと。一歩前に進めたなって言うのをあの時に感じました。僕はギターを始めてから6年くらいなんですけど、正直今まで誰かに評価されるようなことっていうのはなかったし、このバンドでやってきた1〜2年も『いいな』って言ってくれる人は個人的にいてそれは嬉しかったんですけど、もっと大きいところで認められるっていうことがなかったんで、それが今回BEST ARTISTを獲ったことで、僕らのやってたことっていうのは間違ってなかったんだなっていうのが確信に変わりました。終始ハッピーな1日でした」

■池澤さんはどうですか?
池澤英(Vo&G&Key)「あの日の前に珍しく全員でミーティングをしたんですよ、電話で。この曲の順でこのタイミングでこういう動きをしようって。なので、それがよく出たっていうのもあるんですかね。ちゃんと全員の意識が揃って、それがちゃんと出たライヴになったのかなと思います。本当にあんなライヴをしたのは初めてだったし、その後のライヴでもやっぱり動きがよくなったって言われたんですよ。それでバンドに対する風向きも変わったので、去年は見に来てたけど来なくなってた大人がまたライヴを見に来るようになって(笑)」
全員「ははははははは」
池澤「なので、全員の意識が変わる1日になったと思います」

 

『胃腸炎になって行けません』って連絡があって、こいつやっぱダメじゃねぇか?って。
でも、曲聴いたら『これは本物だぞ!』と思って(松下)

■今、結成して2年、メンバーの皆さんは年齢もバラバラですが、そもそもどうやって集まったバンドなんですか?
池澤「まず僕が2017年に大学に編入するので栃木から上京することになって。元々栃木でもバンドをやってたんですけど、それが解散して、東京で次のバンドを始めるためにバンドのメンバー募集サイトに『こういう曲できます』とか書き込んでたんですよ」
松下「その書き込みを僕がたまたま見つけたんですよね。当時、僕も新しくバンドをやりたいなと思ってて、そしたら池澤英の書き込みに、NUMBER GIRL、フジファブリックが好きで、こういう曲がやりたいですっていうのがあって。それを前のドラマーとふたりで聴いてて、『これだ!』と思って」
額田「でもその書き込みはかなり尖ってて、最初は信頼してなかったみたいなこと言ってましたよね。すげぇ調子乗ってるみたいな」
松下「そうそう。『曲については自信があります』って書いてるのを見たら、ちょっと地雷かもしれんなと思いつつ。でも、曲聴いたら『これは本物だぞ!』と思って、実際にコンタクトを取ってスタジオで合わせてみましょうってことになって」
池澤「でも1回ドタキャンしたよね」
松下「そう(笑)。最初に会う予定だった日に胃腸炎になったんだよね?」

▶ 松下和樹(B)

池澤「うん。東京に引っ越してきて初日に胃腸炎になっちゃって、まじで行けなかったんです」
松下「それがあったから、当日しばらくスタジオで待ちぼうけくらって、『胃腸炎になって行けません』って連絡があって、こいつやっぱダメじゃねぇか?ってなってたんですけど、その後もう1回会おうってなって。スタジオでNUMBER GIRLをひたすらコピーしたり、デモの曲をやったりして『一緒にやりましょう』という話になりました。最初に“昨日の月 にさまよえば”を聴いたんですけど、それを含め、当時のデモがどれもカッコよかったんで すよね」
池澤「それで1年経ち。で、額田と僕は大学に進学した時点で知り合ってたんですけど――」
額田「入学のタイミングが僕と英さんが一緒で。僕は中学からギターを弾いてて高校も軽音部やったので、大学でも軽音サークル入ろうと思って行ったら彼がいたんですよ」
池澤「で、最初に新入生企画みたいなのでバンドを組んだんだよね」
額田「そうです。でも、その時の印象はとても悪かったんですよ……(笑)」

■というのは?
額田「僕が一番されて嫌なことがひとつあるんです。アンプの設定を勝手にいじられることなんですけど。それだけは言語道断なんです。なのに会ってすぐバンド組んだ時に(池澤が)『ちょっとちゃうねんなぁ』みたいな感じでアンプのつまみをいじり出して、あぁ、この人はダメだなって最初思ったんですよ(笑)。入学のタイミングは一緒でも彼は編入で僕より年上やったし、気遣って何も言えなかったですし」
池澤「それが2017年5月だよね。でも、その後も何回が誘ったよね?」

▶ 額田一佑(G)

額田「誘われましたね。――元々僕は京都におったんですけど、大学に進学する時に、進路相談で高校の先生に『大学で何をしたいんだ』って言われて『僕はバンドがしたいです!』って言ったんですよ。そしたら先生が『じゃあお前は東京行ったほうがいいんじゃない?』って言ってくれて、それで東京の大学に進学したんですけど、自分は能動的にやるっていうことが得意じゃないので、誘われた時もどうしようかってずっと悩んでて最初の印象は悪いですけど嫌いになったわけではなく、凄く魅力を感じる人やなってことは直観的に思ってたとこもあって。それで『バンドやらへん?』って言われた時に音源を送ってもらったんですよ。それまで高校の先輩とかでオリジナル作ってる人はいたんですけど、みんな絶妙にダサかったんですよね。だから、英さんのも『どうせそんなもんやろ』と思って聴いたら、一発目の音で『あ、凄いな』と思ったんですよ。シンプルに曲のクオリティも高かったし、え、俺の知ってるオリジナル曲じゃねぇと思って。だからこそ悩んでたんですけど、そこから1年くらい経った 2017 年の年末、京都に帰って高校の軽音部時代に仲よかった友達 のライヴを観に行ったんですよ。そしたらそいつが凄く頑張ってて……それで、俺もやらな なと思って。その日に(池澤に)『長らくお待たせしました、やります』っていう LINE を 送って入りました」

■池澤さんはいつから音楽を始めたんですか?

▶ 池澤英(Vo&G&Key)

池澤「僕は小学校1年生の時にエレクトーンを始めました。妹が幼稚園でピアノを習ってたんで、それで家にピアノがあって。僕も家で流れてる曲とかをコピーして遊んだりしてて、それがきっかけで親に『英もやったら?』って言われてエレクトーンを始めて、中学校に入るまでやってました。でも僕はエレクトーンやってる時からずっとギターをやりてぇなって思ってて。エレクトーンにもギターの音は入ってるんですけど、やっぱり生のギターの音には勝てねぇぞと思って。それで中学校で貯めていたお年玉でギターを買い――」

■ギターに憧れたのは当時憧れていたアーティストがいたからですか?
池澤「『BECK』(漫画)の主人公のコユキくんをいいなと思ってました。それでテレキャスを買ったんですけど、当時ONE OK ROCKとかを聴いてたので、テレキャスの魅力から遠ざかってレスポールが欲しくなって(笑)。でも、高1の時にNUMBER GIRLというバンドに出会ってしまってテレキャスの魅力にもう一度戻ってきました。それで、テレキャスでこんなことができるんだったら僕も曲を作ってみようかなと思い立ち、オリジナルを作り、当時一緒にバンドをやっていたヤツらに聴かせ、やらせ、みたいな感じでオリジナルバンドの歴史が始まったんですよね」

■その時からキーボードもやってたんですか?
池澤「キーボードはめちゃめちゃいい子がいたんで、その子がやってました。だからその子の技術とかも吸収して今やってますね。その人がいなかったら今のスタイルはないです。ただ、キーボードはずっとこだわってる部分ではあって。やっぱギターもカッコいいですけど、自分は捻くれてるんで、違ったことがやりたいって思う。それはずっとあります」

 

ふわふわしたままみんなで演奏して作るより、
作った人の気持ちがわかった状態で確信を持って演奏ができるのは凄く信じられる(守屋)

■音楽性だけでなく、池澤さんが手掛けられている歌詞もそうですし、ホームページに1曲ずつセルフライナーノーツが掲載されていたり、このバンドで表現したいもの、表現しているものを自覚されているところはあるんですかね。
池澤「そうですね。わかりやすくやりたいっていうのはあります。難しいことをするより、歌でわかりやすく言葉を伝えないといけないっていう意識はありますね。歌詞で言うと、オリジナルバンドを始めた当初、高校の時はそこまで歌詞に重きを置いてなくて、その時思い浮かんだ言葉を書くタイプだったんですけど、フジファブリックの歌詞を読んだ時に『あ、歌詞も大事だな』っていうことに気づいて。そこを大事にし始めたのが上京したタイミングですね」

■上京した時から意識が変わったということを聞いて納得したんですけど、“東京”のセルフライナーノーツを見ていると「僕が東京という街に住み始めて3年弱が経とうとしていま すが、いまだに、余裕のなさそうなキリキリとした空気感には慣れません。それは故郷のゆ ったりとした空気感を知っているからなのでしょう。僕はそんなことを伝えたくてこのエゾシカをやっているのかもしれません」と書いてあって、エゾシカの曲って都会と地方の対比から生まれる感情にフォーカスされることが多いですよね。池澤さんの書く歌について皆さんはどう思われますか?

松下
「彼は素朴な人間なんですよ。着飾ったりしてないし、言葉とかカッコつけたりするのが嫌いなんでしょうね。そこの切なさというか、甘酸っぱさっていうのが出てて、メロも淡いというか、自分自身くすぐられます。好きなんですよね。なので、アレンジの面では、それをいかく邪魔せず、歌メロを引き出せるかっていうのを意識してます」
額田「僕も歌詞はストレートでキャッチーで着飾らない、そういうところが好きですね。ほんとに素直な英さん像が歌詞には出てて、だからなるべく歌にかぶらないようなギターを弾こうと意識してます。特にリードギターっていうのは主旋律を邪魔しがちなところがあるんで。というのも、このバンドを始めた当初は『俺のギターを聴け!』みたいな、イキりギタリストだったんですよ(笑)」
池澤「ファーストデモがそうだったね」
額田「そう。ファーストデモからファーストEPを聴いていただくと僕の進化がわかります(笑)。さらに“東京”(2019年11月20日リリースのファーストシングル『東京』に収録)を聴いてもらうとわかると思うんですけど、僕も凄く我が強いんで、よくケンカというか言い合いをするんですよ。それでも歌を立たせなきゃって意識になったのは英さんのメロディとか歌詞のセンスがあるのかなって思いました」

■守屋さんは正式加入後、どういうふうにコミュニケーションをとって制作に参加してるんですか?
守屋「池澤さんって、彼のタイミングで歌詞とか音源とかをグループLINEじゃなくて、個人にバラバラと送ってくれるんですけど、その時にふたりで話したりする中で生まれた認識が大事な気がしてて」
松下「え、僕には個人LINE来ないんだけど……」
全員「ははははははは」
池澤「ベースは任せてるんで」
松下「任せてもらえてるのか」
池澤「カズ(額田)にもあんま送んないもんね」
額田「そうですね(笑)。僕にもあんまり送られてこないです」
松下「でも、池澤さんと守屋さんでイメージが固まったものにベースとかギターを乗せるから、変にぶれないんだよね」
守屋「そう思う。だから僕はふわふわしたままみんなで演奏して作るより、作った人の気持ちがわかった状態で確信を持って演奏ができるのは凄く信じられるというか、疑うこともなくできるのはありがたいですね」
池澤「僕はふわっとした状態で見せることもあるんですけど、そうやって守屋さんとかと話してて固まることもあるんですよね。だから今のやり方は間違ってないのかなと思います」

 

バンドマンじゃなくて、音楽家になりたいと思ってます。
ひとりの人間としても大きな人間になれたらいいな(池澤)


■では最後に今後どうなっていきたいかを聞かせてもらえますか。
守屋「正直僕は、いろんな音楽の仕事がやりたいっていう思いの中、このバンドに入ったので、まだ感情が定まってないところがあるんですけど、このバンドが大きくなっていくにつれ、エゾシカがメインになるというか、比率が変わってくる過程が楽しみっていう自分の気持ちもありますし、どこか大きな舞台に立ちたいっていうよりかはとにかく長くやっていけるバンドになればいいなって思います。もちろん最低限生活はしていかなきゃいけないし、割とそういう現実的な面で、そんなに太くなくてもいいからなるべく長く続けられる、おじいさんくらいになっても続けてられて、年下の子供達も知ってるみたいな。コアでいいのでそういうバンドになってくれたら嬉しいなと思いますね」
松下「今の話の後だと凄く言いづらいんですけど……僕は日比谷野音でライヴがしたいです!」
全員「はははははははははははは!」
池澤「毎年やりたいよね」
松下「うん。ただ、守屋さんも言ってたように長く好かれるバンドになりたいですね。音楽性的にいろんな人が好いてくれそうな気もするので、極端な話有名になりたいというか、みんなに知って欲しいです」
額田「僕も守屋さんとかぶるところがあるんですけど、やっぱり解散しちゃうバンドとか、活休しちゃうバンドとかも世の中にはいっぱいいるもので、その中で残っていくっていうことは、武道館とか大きいところで演奏するよりも難しいことだなって凄く思うんです。だから、10年後、20年後、30年後、40年後になってもエゾシカのギタリストでいたいなっていうのが僕の大きな夢ですね。60年後でも――」
池澤「60年後……!?」
額田「(笑)。僕は死ぬまでエゾシカのギタリストでいたいなって思います。それが僕のひとつ、大きな夢かなと思います」

■では最後に池澤さんお願いします。
池澤「僕は奥田民生さんみたいになりたいです。なんだろう……バンドマンじゃなくて、音楽家になりたいと思って、ちゃんと音楽で稼いで家族を養ってみたいな。バンドだけじゃなく、ひとりの人間としても大きな人間になれたらいいなと思います」

テキスト=桂 季永  撮影=ハギワラヒカル
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